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この頃の一宮駅って一度しか行ったことないんだけど国鉄のホームはガラガラ、名鉄は絶えず電車が出入りて賑やかだったような印象があります。
1985年3月改正で名古屋~岐阜は毎時3本になりましたが今の毎時8本よりはそれでも少ないですからねえ民営化後は名岐間では完全に逆転し急行の半数が一宮止まりとなりついには平日日中はそれも廃止されて毎時6本に名古屋~一宮も減少…
いいですねっいいですねっいいですねっいいですねっいいですねっ(^o^)
すごい。10両編成。
懐かしい❣️あたいが、12の頃だ。名鉄との共用駅でした。ありがとうございます😊😊
ご視聴ありがとうございます。懐かしんでいただければ幸いです
表側が国鉄尾張一宮駅で、裏側が名鉄新一宮駅でしたね。大昔は起線と言う路面電車が出て居たとか。今は名鉄一宮駅になり、改札も別になりました。
クロミ様♥️
途中の岐阜まではちょっと変わった「架線下ディーゼル」。同駅で進行方向が逆転して高山本線に入りますと正真正銘の非電化単線に入るため、それらしき本領を発揮します。中でも1980年10月改正時点での富山16時台発「のりくら10号」の運行パターンがこれまた面白く、特に行楽シーズン等多客期は必ずしも全編成が富山以南の国鉄線内完結だったわけではなかったため、富山で富山地鉄立山線からやってきた車両を迎え入れてドッキング、ここからいよいよ本物の「のりくら10号」としての本領を発揮し、一路名古屋を目指します(21時24分着)。
国鉄時代は全区間架線下ディーゼルの急行「しらゆき」もありましたしそこまで珍しいでもなかったかもしれません、車両の都合か併結列車の都合か色々と
@@asakazefuji おはようございます。これは金沢発青森行きの場合、途中の糸魚川までは松本行き「白馬」を連結するのと、解放後におけるその走行路線の一つである大糸線南小谷~糸魚川間が現在も非電化単線のまま残されているからです。
@@rhscm989 やはり大糸線のその区間は影響大ですねえ名古屋~新潟の「赤倉」も架線下DCでしたな(こちらは果たして?特急「しなの」ですら一部は381系でなくキハ181系で残っていたことありますから)
「のりくら」っつーよりも「のらりくらり」やな😁
@@psychedelicraspberry517 「のりくら」っつーよりも「のらりくらり」>その「のらりくらり」とは「何もせずにぶらぶらとする様子」「つかみどころまたはとらえどころ、どちらもない様子」のいずれかにあてはまっていることが判明しました。何も事前調査せずにカキコしてしまいまして申し訳ありませんでした。この場を借りてお詫び申し上げます。
先頭車のキハ58 714は後に急行かすが専用車のキハ58 5714→キハ58 3001になった車輛ですね...
多分、昭和の国鉄時代の映像ですね。「のりくら」の編成も長いし、キハ58の中に1両だけ窓が2枚のサッシ窓。
私はひだに憧れ、いつものりくら乗車でした笑笑
特急ひだ号は82系時代に2回ほど、JR東海のワイドビューひだ号は一回乗りました。
国鉄時代だと他の動画から1985年でしょうか?JRマークが入ってませんし国鉄の頃とは思いますな
@@speedbird019 私も平成初期に、周遊券だったので課金のある「ひだ」には乗らず「のりくら」乗りました…😁
急行券て何?てなる人いるかもですね…
そうですね。今では買うこともないかな
僕が保育園年長の時や
おそらく似たような世代かと・・・
この頃の一宮駅って一度しか行ったことないんだけど
国鉄のホームはガラガラ、名鉄は絶えず電車が出入りて賑やかだったような印象があります。
1985年3月改正で名古屋~岐阜は毎時3本になりましたが
今の毎時8本よりはそれでも少ないですからねえ
民営化後は名岐間では完全に逆転し
急行の半数が一宮止まりとなり
ついには平日日中はそれも廃止されて毎時6本に名古屋~一宮も減少…
いいですねっいいですねっいいですねっいいですねっいいですねっ(^o^)
すごい。10両編成。
懐かしい❣️
あたいが、12の頃だ。
名鉄との共用駅でした。
ありがとうございます😊😊
ご視聴ありがとうございます。
懐かしんでいただければ幸いです
表側が国鉄尾張一宮駅で、裏側が名鉄新一宮駅でしたね。大昔は起線と言う路面電車が出て居たとか。今は名鉄一宮駅になり、改札も別になりました。
クロミ様♥️
途中の岐阜まではちょっと変わった「架線下ディーゼル」。同駅で進行方向が逆転して高山本線に入りますと正真正銘の非電化単線に入るため、それらしき本領を発揮します。
中でも1980年10月改正時点での富山16時台発「のりくら10号」の運行パターンがこれまた面白く、特に行楽シーズン等多客期は必ずしも全編成が富山以南の国鉄線内完結だったわけではなかったため、富山で富山地鉄立山線からやってきた車両を迎え入れてドッキング、ここからいよいよ本物の「のりくら10号」としての本領を発揮し、一路名古屋を目指します(21時24分着)。
国鉄時代は全区間架線下ディーゼルの急行「しらゆき」もありましたし
そこまで珍しいでもなかったかもしれません、車両の都合か併結列車の都合か色々と
@@asakazefuji
おはようございます。
これは金沢発青森行きの場合、途中の糸魚川までは松本行き「白馬」を連結するのと、解放後におけるその走行路線の一つである大糸線南小谷~糸魚川間が現在も非電化単線のまま残されているからです。
@@rhscm989
やはり大糸線のその区間は影響大ですねえ
名古屋~新潟の「赤倉」も架線下DCでしたな(こちらは果たして?特急「しなの」ですら一部は381系でなくキハ181系で残っていたことありますから)
「のりくら」っつーよりも「のらりくらり」やな😁
@@psychedelicraspberry517
「のりくら」っつーよりも「のらりくらり」>
その「のらりくらり」とは「何もせずにぶらぶらとする様子」「つかみどころまたはとらえどころ、どちらもない様子」のいずれかにあてはまっていることが判明しました。
何も事前調査せずにカキコしてしまいまして申し訳ありませんでした。この場を借りてお詫び申し上げます。
先頭車のキハ58 714は後に急行かすが専用車のキハ58 5714→キハ58 3001になった車輛ですね...
多分、昭和の国鉄時代の映像ですね。「のりくら」の編成も長いし、キハ58の中に1両だけ窓が2枚のサッシ窓。
私はひだに憧れ、いつものりくら乗車でした笑笑
特急ひだ号は82系時代に2回ほど、JR東海のワイドビューひだ号は一回乗りました。
国鉄時代だと他の動画から1985年でしょうか?JRマークが入ってませんし国鉄の頃とは思いますな
@@speedbird019 私も平成初期に、周遊券だったので課金のある「ひだ」には乗らず「のりくら」乗りました…😁
急行券て何?てなる人いるかもですね…
そうですね。今では買うこともないかな
僕が保育園年長の時や
おそらく似たような世代かと・・・